土着パワー、土着センス、それは一日では手に入れることのできない郷土愛による自然発生的なインスピレーションです(再度補足ながら、みうらじゅん氏著の「ドチャック」という本があり、「ドチャック」というキャラがいます)。
先日の投稿で「京都に移住しよう」という類の本について少し触れましたが、何も京都以外の方をどうこう区別するつもりはありません。本質的にはそこではありません。
移住することは構いませんが、地元のいいところをよくよく見て感じてきたのかというところをついているに過ぎません。
おすすめスポットを「鴨川」と言っているようでは、おそらくまだ京都をよくわかっていらっしゃらないのでしょう。「紙屋川」や「有栖川」と言ったなら少しは反応が違うものになっていたのかもしれませんが。。。
それは、「日本は俺を認めないけど、自由の国アメリカなら!」と、躍起になっている人のようです。
このような場合、日本のシステムが完璧でないという点も多少は加味されますが、それよりももっと重要なのはその人自身の考え方ではないでしょうか。
勤める会社を変えたりパートナーを変えることはできますが、自分はなかなか変えれません。それに物理的に移動しても、ものを見て捉えるのは自分です。必ず「自分」というものはついてまわります。
「ここも捨てがたいが、どうしてもあそこにも行ってみたい」というような気持ちなら、移住は功を奏するかもしれません。
ただ、移住しようという人たちを見ると、何か違った理由のようです。
本当に自分の地元を愛して、尚且つ旅立って欲しいものです。
地元愛
仕事がない、遊ぶところがない、この街にはセンスがない、などいろんな理由をつけるのは勝手ですが、今いるところのいいところも見つけられないようなセンスが、本当は一番問題なのではないでしょうか。
自分の地元を愛してやまない人は、どこか憎めないものです。
よさこいの時期に地元高知に帰る高知人が「有給の申請」をしてきたときはなんだか微笑ましいでしょう。
悲しいことかどうかわかりませんが、僕も含めて同級生の友人たちはみんな、成人する頃には祇園祭には行かなくなります。もうこれくらいの歳になると、仕事がらみの他府県の方を案内するときくらいしか行きません。日本三大祭りにも関わらずです。
そう考えると、阿波踊りやよさこい、だんじりなどは非常に憧れの対象になります。
遠く離れて住んでいても、ほぼ毎年必ず帰らせてしまうほどの魅力を持った祭りです。
仮に僕が東京に住んでいて、祇園祭だから、とか大文字だから、という理由で帰るでしょうか。
必ずと言っていいほど帰りません。むしろそんな人でゴミゴミした日を避けて帰るでしょう。
そんな土着パワーを京都にも!
過去記事⇒ドチャック
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